多様性なんて便利な言葉はあるが、結局のところ集団になればなるほど実現が難しいと感じる日々である。
お互いに認め、理解し、干渉しない。
許容はするけれど迎合はしない。
それが本来の多様性の在り方なのではないかと思ったりもする。もちろん個人的な意見だ。
林檎が好きな人とみかんが好きな人がいて、それで対立する必要はない。
それなのにネットでは「私林檎が大好きで」と書くだけでなぜか「林檎が嫌いな人に配慮がない」とか「苺が好きだと駄目なんですか」とか斜めの方向からよくわからないリプライが飛んできたりもする。そうは言って無い。ただ「林檎が好き」と好みを発信しただけである。苺には言及していないし、そもそも好きな人がいれば嫌いな人が一定数いるこの世の中で、反対意見者に配慮していたらなにも表現することはできない。
押しつけるのはよろしくないが、なんでもかんでも自分の意見が優先されるなんて都合のいいことはないのだ。
で、話を表題に戻すと、私はそれなりに少数派の嗜好を持っているなぁという自覚がある。
もちろんそうでなければいいと思ったこともあるし、途中SMを職業としてやめてみたこともある。女の子とだけでなく、男の人とも付き合おうと試してみた時期もあった(最初は失敗したけど、人間色々と学べるものである)。アングラの世界においてさえカニバリズムを愛する人にそれほど多く出会えるわけでもなく、コミュニティを探すのが最初の頃は至難の業であった。
例えば映像作品にレーティングがあるように、アダルトグッズがゾーニングされているように、相対する権利を主張する者同士がぶつからない方法で社会に存続できれば、それが一番いいはずだ。露出したい人がいれば、他人の裸を見たくない人だっている。ホラー映画を好きな人がいれば、怖い映画はCMですら見たくない人もいる。前者なら同じ嗜好者で集まりだれもいない場所や私有地を選べばいいし、後者はCMを流す前にチャンネルを変える時間を設けるか、怖さのない映像にすればいい。
いつも頭にあるのは、マイノリティだからと言って卑下する必要はないということ。けれど威張り散らかして後ろ指差されるような態度でいるのはいけないということ。社会における最低限のルールにおいて配慮を求めるのは問題だけれど、調整による最大限の枠組みは主張しなければならない、と思っている。
この中で、より問題になるのはマイノリティであるが故の気安さと距離の近さだ。
同じ嗜好だからといって挨拶もなしにいきなり触れていいという道理はない。だがSMBARや縄会・鞭会などに行くとよく見かけるし自分ですら行き当たる(いや私だから遭遇率高めという意見が聞こえてきそうだが)。縄会で相手をしてもいい、というのは緊縛に対してであるのか責めも含まれるのか。それにデリケートゾーンの接触が含まれているか否か。聞きもせず「縛らせてもらっていいですか」という一言で下腹部から子宮を揺らし、乳を揉み、股に頭を埋める人は意外と多い。鞭会で置いてあるからと断りなしに他人の鞭を触る人もいる。他人とは「自分以外の人間」のことだ。知り合いも「他人」。蝋燭の会でも集団で遊んでいると突然入り込んできて混ざる人もいる。一言もなしに。WAMに至ってはいきなり局部に腕を突っ込みローションプレイを始める人もいる。
いやまず聞けよ。
性的な嗜好が同じだから色々飛ばして「共通の行為」を早く始めたい気持ちはわかる。けれど、それはだれが相手でもいいのかと言われたら確実に個人差があるものだ。大事な部分だが大きくはない共通点ひとつでいきなり距離は縮まらないと考え、人として節度ある付き合いをしていれば自然と仲良くなれるものだろう。(むしろ仲が悪くなる場合も往々にしてあるが)
全てに確認を取れという色気のない話ではない。ただ手抜きをするな、ということである。


